六つ子のてっちゃん
2008年 04月 01日
米子から松江、出雲と回り、そこから一路瀬戸内海側、広島へ行くことにした。
いよいよ青春18きっぷの出番なのだ。距離としては、それほどでもないんだろうけど、とにかく電車の便が悪く、朝10時40分に出雲を出る電車に乗り、そこから乗り換えること3回、17時半に広島に着くのが最短。もちろん、特急とか使えば、もっと早く着けるし、ちなみにバスだと3時間ほどらしい。しかし、それでは東京でせっかく買っておいた青春18きっぷが無駄になってしまう。なもんで、青春とは年齢的にいかがなものか、という突っ込みは無視してこのルートで向かうことにした。
途中、宍道という駅から備後落合という駅まで、木次線という電車に乗った。
一両編成で、前と後ろにしか扉がなく、4人掛けぐらいの座席が左右にずっとつながっている(ボックスシートはなし)。私たちはバックパックがあるので、後方、端の方に陣取った。
ふと見ると、目の前には6人組の中学生? もしくはこの春から高校生か? というぐらいの男の子たちが何かに夢中になっている。
何を見てんのかいな、と観察していると…それは「時刻表」であった。
日本を回るにあたり、私もポケット時刻表を持っているが、3月15日から新ダイヤになっているのもおかまいなしに、1月号、つまり年末に買ったものを持ち歩いている始末。しかし彼らはもちろん最新号を、それぞれが一部ずつ所有しているようである。リーダー格のような少年はJR西日本の広報誌? だかなんだか、見たこともないようなJRの冊子も所有しているようである。
てっちゃん?
前の職場でも、てっちゃん系の本を何冊か編集したことがあった私はすぐにピンときた。
てか、ふつーピンと来るけど。
彼らに興味がわいた私は、暇にまかせて彼らをもっと観察した。
よく見ると、私たちの「青春18きっぷ」と同じきっぷを所有している。
私たちよりもよぽど「青春」であろう彼ら。
彼らは全員、そろって銀縁眼鏡をかけ、足元はスニーカー、手にはディパックといういでたちである。顔は全然違うけど、やはり何か共通するものがある。髪質はみな、天然パーマで若干ごわつき気味、量は多いようだ。
こっそり、「六つ子」と名付けた私だった。
出雲も広島も初めての私にとり、この木次線という電車ももちろん初めて乗るわけで、どんな電車か、という知識は皆無だった。
宍道から備後落合という駅まではおよそ160分、そこそこ長い。
乗ってくる人も降りる人もほとんどなく、始発駅宍道からほぼ変わらぬ顔ぶれで電車は進んでいく。
ふと見ると、車内にはおよそ20名ほどの人たちがいた。
六つ子のほかはおじさんが多いが、小さい子供を連れた若夫婦もいた。
単線のため、時折電車の擦れ違いの待ち合わせで10分、5分と停車をするのだが、ある時六つ子が動いた。駅に着く前から、仲間内で何やら金を集め始めたのである。
「次で降りるのかな?」
私はこっそり「長男」と心の中で呼んでいた、リーダー格の少年の一挙手一投足に神経を集中した。
駅に着くと、ホームに弁当を持ったどこかの店の人が待っていた。
そう、六つ子たちは、駅弁を予約し、駅に届けに来てもらっていたのである。
ほぼ無人駅ばかりのこの線で。
「すごい技を使いやがる…」
私たちは、自分たちの昼飯を眺めた。
駅弁を買いたかったが、出雲駅も大したものがなく、宍道駅には売店というものが存在しないため、パンを購入していたのだ。
たまに目が合いながらもひるむことなくこっそりと見ていると、彼らが夢中で食している弁当は、どうやら「焼きサバ弁当」であることが判明した。ちぇ。
山に向かっていくため、だんだんと登っていく電車。
天気も雨になったり晴れたりと忙しく、気温もそこそこに低い。
「寒いね」
どうってことないパンを食べ、旦那につぶやいたころ、電車はとある駅に着いた。
駅名は失念したが、「スイッチバックと延命水がある駅」と書いてある。
「延命水だってよ。ちょっと汲んできたら」
旦那がホームに降りて見に行ったが、どこにあるのかよくわからなかったらしい。
しかし、六つ子の一人は汲むのに成功していたようだ。
延命水、まだ関係ねーだろ。
ちっ。どこまでも準備や下調べに余念がないな。
「スイッチバックって珍しいっけ? 箱根登山鉄道にもあったよね?」
などと私たちが話していると、発車した電車のスピードがかなりのろい。
何かな? と思っていると、私たちとあと2,3人の乗客を除いたほぼ全員が立ち上がり、写真やビデオを撮りまくっているではないか。
六つ子はもちろんのことだが、若夫婦も子供を抱きながら、ビデオやデジカメに余念がない。
六つ子に気を取られていたが、よくよく見ると、若夫婦の席にも、おっさんの席にも時刻表が置いてあるではないか! どーなってんだ、これ。
どうやら、てっちゃんばかりが乗り込んだ、てっちゃん垂涎の電車だったようだ。
車外の風景はどうなっているのかちょろっと見てみたけれど、何がある、ってわけでもない。いったい何を撮っているのか・・・。それよりも、一両の電車の中に座っている人間は私たち含め4,5名、あと15名ぐらいは、その全員がビデオカメラもしくはカメラ類を持ち、思い思いに撮りまくっているというその車内風景。
こんなの見たことねー
と、違った意味でびっくりしていた私たちなのだった。
ちなみにいっとき電車はゆっくりと走っていたので、私たちが見過ごした「見どころ」が存在するのではないか、と今は思ってます。
その後も時折、シャッターチャンスと思しき場所が訪れている模様で、そのたびに車内が色めき立っていたが、ともかくおよそ160分後、六つ子たちと私たち、そしてその他のてっちゃんを乗せた電車は終点の備後落合に着いた。
てっちゃん系の人々はそろって私たちと違う方面へ向かう電車に乗り込んでいった。
広島駅に着くまで、その後も乗り換えを続けたが、てっちゃんを見かけることはなかった。
いよいよ青春18きっぷの出番なのだ。距離としては、それほどでもないんだろうけど、とにかく電車の便が悪く、朝10時40分に出雲を出る電車に乗り、そこから乗り換えること3回、17時半に広島に着くのが最短。もちろん、特急とか使えば、もっと早く着けるし、ちなみにバスだと3時間ほどらしい。しかし、それでは東京でせっかく買っておいた青春18きっぷが無駄になってしまう。なもんで、青春とは年齢的にいかがなものか、という突っ込みは無視してこのルートで向かうことにした。
途中、宍道という駅から備後落合という駅まで、木次線という電車に乗った。
一両編成で、前と後ろにしか扉がなく、4人掛けぐらいの座席が左右にずっとつながっている(ボックスシートはなし)。私たちはバックパックがあるので、後方、端の方に陣取った。
ふと見ると、目の前には6人組の中学生? もしくはこの春から高校生か? というぐらいの男の子たちが何かに夢中になっている。
何を見てんのかいな、と観察していると…それは「時刻表」であった。
日本を回るにあたり、私もポケット時刻表を持っているが、3月15日から新ダイヤになっているのもおかまいなしに、1月号、つまり年末に買ったものを持ち歩いている始末。しかし彼らはもちろん最新号を、それぞれが一部ずつ所有しているようである。リーダー格のような少年はJR西日本の広報誌? だかなんだか、見たこともないようなJRの冊子も所有しているようである。
てっちゃん?
前の職場でも、てっちゃん系の本を何冊か編集したことがあった私はすぐにピンときた。
てか、ふつーピンと来るけど。
彼らに興味がわいた私は、暇にまかせて彼らをもっと観察した。
よく見ると、私たちの「青春18きっぷ」と同じきっぷを所有している。
私たちよりもよぽど「青春」であろう彼ら。
彼らは全員、そろって銀縁眼鏡をかけ、足元はスニーカー、手にはディパックといういでたちである。顔は全然違うけど、やはり何か共通するものがある。髪質はみな、天然パーマで若干ごわつき気味、量は多いようだ。
こっそり、「六つ子」と名付けた私だった。
出雲も広島も初めての私にとり、この木次線という電車ももちろん初めて乗るわけで、どんな電車か、という知識は皆無だった。
宍道から備後落合という駅まではおよそ160分、そこそこ長い。
乗ってくる人も降りる人もほとんどなく、始発駅宍道からほぼ変わらぬ顔ぶれで電車は進んでいく。
ふと見ると、車内にはおよそ20名ほどの人たちがいた。
六つ子のほかはおじさんが多いが、小さい子供を連れた若夫婦もいた。
単線のため、時折電車の擦れ違いの待ち合わせで10分、5分と停車をするのだが、ある時六つ子が動いた。駅に着く前から、仲間内で何やら金を集め始めたのである。
「次で降りるのかな?」
私はこっそり「長男」と心の中で呼んでいた、リーダー格の少年の一挙手一投足に神経を集中した。
駅に着くと、ホームに弁当を持ったどこかの店の人が待っていた。
そう、六つ子たちは、駅弁を予約し、駅に届けに来てもらっていたのである。
ほぼ無人駅ばかりのこの線で。
「すごい技を使いやがる…」
私たちは、自分たちの昼飯を眺めた。
駅弁を買いたかったが、出雲駅も大したものがなく、宍道駅には売店というものが存在しないため、パンを購入していたのだ。
たまに目が合いながらもひるむことなくこっそりと見ていると、彼らが夢中で食している弁当は、どうやら「焼きサバ弁当」であることが判明した。ちぇ。
山に向かっていくため、だんだんと登っていく電車。
天気も雨になったり晴れたりと忙しく、気温もそこそこに低い。
「寒いね」
どうってことないパンを食べ、旦那につぶやいたころ、電車はとある駅に着いた。
駅名は失念したが、「スイッチバックと延命水がある駅」と書いてある。
「延命水だってよ。ちょっと汲んできたら」
旦那がホームに降りて見に行ったが、どこにあるのかよくわからなかったらしい。
しかし、六つ子の一人は汲むのに成功していたようだ。
延命水、まだ関係ねーだろ。
ちっ。どこまでも準備や下調べに余念がないな。
「スイッチバックって珍しいっけ? 箱根登山鉄道にもあったよね?」
などと私たちが話していると、発車した電車のスピードがかなりのろい。
何かな? と思っていると、私たちとあと2,3人の乗客を除いたほぼ全員が立ち上がり、写真やビデオを撮りまくっているではないか。
六つ子はもちろんのことだが、若夫婦も子供を抱きながら、ビデオやデジカメに余念がない。
六つ子に気を取られていたが、よくよく見ると、若夫婦の席にも、おっさんの席にも時刻表が置いてあるではないか! どーなってんだ、これ。
どうやら、てっちゃんばかりが乗り込んだ、てっちゃん垂涎の電車だったようだ。
車外の風景はどうなっているのかちょろっと見てみたけれど、何がある、ってわけでもない。いったい何を撮っているのか・・・。それよりも、一両の電車の中に座っている人間は私たち含め4,5名、あと15名ぐらいは、その全員がビデオカメラもしくはカメラ類を持ち、思い思いに撮りまくっているというその車内風景。
こんなの見たことねー
と、違った意味でびっくりしていた私たちなのだった。
ちなみにいっとき電車はゆっくりと走っていたので、私たちが見過ごした「見どころ」が存在するのではないか、と今は思ってます。
その後も時折、シャッターチャンスと思しき場所が訪れている模様で、そのたびに車内が色めき立っていたが、ともかくおよそ160分後、六つ子たちと私たち、そしてその他のてっちゃんを乗せた電車は終点の備後落合に着いた。
てっちゃん系の人々はそろって私たちと違う方面へ向かう電車に乗り込んでいった。
広島駅に着くまで、その後も乗り換えを続けたが、てっちゃんを見かけることはなかった。
by yatzi | 2008-04-01 16:07 | 日本