masa日記 愛しきエステポナ
2009年 08月 04日
最初に来たのが13年前、その後2年ごとに再訪して最後が9年前。親しき友人達のいるアンダルシアの田舎町だったエステポナ。9年の歳月が過ぎたものの懐かしさで一杯の街。しかし、バスに乗って辿りついたその街はすっかり観光地化が進んだリゾート地に様変わりしていた。道は覚えているが街の様子がすっかり変わっているので、まるで違う街に来ている感じだ。けれど、街並みが変わっていようが友人達が温かく迎えてくれるだろう。
伝統的なアンダルシア(エル・ティピコ・アンダルース)という名前の、生ハムしかないBAR(バル=スペインの酒場)にいるのが最愛の友人ハビエル。いつも店に入ると仕事の手を止めて歓迎のあいさつを交わしに来る。おまけに久しぶり来た初日には料金は取らず、最終日にはシェリー酒のお土産付きというほど、来ることを喜んでくれる。あ~、9年ぶりで覚えていてくれているか不安を覚えつつ店に行くと、懐かしいその店が今も変わらずにある。嬉しすぎて涙がこみ上げてきそうになるのを我慢して店の中に。しかしそこには笑顔で迎えてくれるはずのハビエルは、もう、いなかった。今の店の人に聞いたら2年ほど前に父親の農場を手伝うために引退して、店を譲ったらしい。なんということだ、9年間ずっと会うことを楽しみにしてきたハビエルともう会うことが出来ない。余りにも間を開けすぎた自分たちを責めずにはいられない気分でこの日のワインはしょっぱい味だ。一つだけ救いだったのが、今この店のオーナーのハンガリー人夫婦がいい人たちだったということだ。店の名前も、店内のしつらえもほぼそのままで頑張っている彼らがいたおかげで、昔のハビエルの店の雰囲気が少し残っていた。
今思えば、ハビエルは変わっていくエステポナが嫌になったのかもしれない。ペセタからユーロに変わり、スペインの雰囲気もだいぶ変わった。店の名前からもわかるように古き良きアンダルシアを愛していたハビエルは変わりゆく街に愛想をつかせて田舎に引っ込んだに違いない。
そして、もう一人の友人マルコの店も無くなっていた。この店は最初エステポナに来た時に海老のニンニク炒め(ガンバス・アル・アヒージョ)とスペイン風玉子焼き(トルティージャ)が美味しくて気に入った店だが二回目に来た時は貸店舗になっていた。そして三回目に来た時にマルコがオーナーでやっていて、その時に最初のオーナーともその店で再会した、思い出の詰まった店だった。他にも当時あったBARはことごとく無くなっていて、代わりにカフェテラス形式のレストランばかりに様変わりしている。今、スペインのおやじ達はどこで飲んでいるのだろうか。以前はどのBARに行っても「どこから来たんだい」と声をかけられたものである。誰一人知り合いに会えず、街も変わってしまった。ハビエルがこの街を去った今、我々はもうエステポナに来ることは無いだろう。昔のままのエステポナを胸に刻んで…。
さようなら会えなかった友人達よ、さようなら私たちが最も愛した街エステポナ。

伝統的なアンダルシア(エル・ティピコ・アンダルース)という名前の、生ハムしかないBAR(バル=スペインの酒場)にいるのが最愛の友人ハビエル。いつも店に入ると仕事の手を止めて歓迎のあいさつを交わしに来る。おまけに久しぶり来た初日には料金は取らず、最終日にはシェリー酒のお土産付きというほど、来ることを喜んでくれる。あ~、9年ぶりで覚えていてくれているか不安を覚えつつ店に行くと、懐かしいその店が今も変わらずにある。嬉しすぎて涙がこみ上げてきそうになるのを我慢して店の中に。しかしそこには笑顔で迎えてくれるはずのハビエルは、もう、いなかった。今の店の人に聞いたら2年ほど前に父親の農場を手伝うために引退して、店を譲ったらしい。なんということだ、9年間ずっと会うことを楽しみにしてきたハビエルともう会うことが出来ない。余りにも間を開けすぎた自分たちを責めずにはいられない気分でこの日のワインはしょっぱい味だ。一つだけ救いだったのが、今この店のオーナーのハンガリー人夫婦がいい人たちだったということだ。店の名前も、店内のしつらえもほぼそのままで頑張っている彼らがいたおかげで、昔のハビエルの店の雰囲気が少し残っていた。

そして、もう一人の友人マルコの店も無くなっていた。この店は最初エステポナに来た時に海老のニンニク炒め(ガンバス・アル・アヒージョ)とスペイン風玉子焼き(トルティージャ)が美味しくて気に入った店だが二回目に来た時は貸店舗になっていた。そして三回目に来た時にマルコがオーナーでやっていて、その時に最初のオーナーともその店で再会した、思い出の詰まった店だった。他にも当時あったBARはことごとく無くなっていて、代わりにカフェテラス形式のレストランばかりに様変わりしている。今、スペインのおやじ達はどこで飲んでいるのだろうか。以前はどのBARに行っても「どこから来たんだい」と声をかけられたものである。誰一人知り合いに会えず、街も変わってしまった。ハビエルがこの街を去った今、我々はもうエステポナに来ることは無いだろう。昔のままのエステポナを胸に刻んで…。
さようなら会えなかった友人達よ、さようなら私たちが最も愛した街エステポナ。

by yatzi | 2009-08-04 06:47 | スペイン